敬老の日に思う

子どもの頃、家には嫌われ者の祖母がいました。常にだらしなく態度は尊大。そんな祖母が毎日欠かさないのがお仏壇へのお供えで、「もったいないから誰にもやらん」と、いつも一人で食べていました。 ある日私が命じられたのが祖母の好きな「かるた(百人一首)」の相手。難しい漢字だけ書かれた札は分かりようもなく「覚えが悪い」と叱られながら下唇をかみしめていると、祖母は不意に「お菓子食うか」とピカピカな仏壇の最中を手に乗せてくれました。大切に両手でくるんで顔を上げると「食え」と祖母がそっけなく言いました。 最中は湿気ってお線香の香りがして美味しくはなかったけれど、特別な一品をいただけて晴れがましい気持ちになりました。きっとニコニコしていたのでしょう。「そんなにうまいか」と聞く祖母からも満面の笑みがこぼれました。以来、私と祖母は遊び仲間になりました。最後はお菓子を分け合ってひとやすみ。 その日も一緒にお菓子をほおばっていると、「お前は優しいな」と祖母がポツンとつぶやきました。「こんな線香臭いもん誰も食わん。わしと話もしたくないしな」私は祖母が寂しいんだと気が付きました。・・・でも意地っ張りなんだ。

敬老の日の「敬う」という文字を見るたび、一言のありがとうより、寄り添いあえる誰かを求めていた祖母を思い出します。いま、わけあって体が不自由になって、なおさらに寄り添え会える尊さを感じます。忘れてないよ、おばあちゃん。